「2.こだわりレビュー」 2005年02月03日
「人間は本能ではなく観念にもとづいて性行動をする」と喝破する著者は、日本や西欧の性風俗や性の歴史を紐解きながら、「ほらね。人間は本能が壊れているから、幻想(観念世界)によって性を意味付けているんだよ」と、独自の切り口で繰り返し述べて行きます。
著者の舌鋒は、最終章のタイトルである「性交は趣味である」に表れているように常に刺激的で、時には読者の価値観と真っ向からぶつかることもあることでしょう。しかし、「女性は特殊な商品である」や、「神の後釜としての恋愛と性欲」といった章においては、きっと、今まで納得の行きにくかった問題に対しての“あざやかなアプローチ法”を見せられる思いがすることでしょう。
各所で引用される古今の性の文化についての考察は、事例集としてみても非常に興味深く、その内容は時に滑稽であり、また限りなく真剣なものです。
女が仰向けに寝て、その上に対面して男が乗り、体を密着させる体位が正常位と呼ばれるのは、キリスト教の教会の基準に従っているのである。同じくテイラーによれば、正常位という「ただ一つの体位しか許されず、それ以外の体位に対しては数多くの罰が定められていた。もっとも快感度が高いとされていた more canino(ワンワン・スタイル)は、とくに恐るべきものと見なされ、七年間の苦行が科せられた」そうである。要するに、神が認めない男女の恋愛関係、性関係、性交体位はあってはならないのである。(135ページ)
ちなみに、この“あざやかさ”は“モチーフの単純さ”によるものだとも言え、「性的唯幻論」自体が「論」というよりも「物語」として捉えられてしまう危険と紙一重のところにあるのではないかと思います。
もっとも、著者はその点において古今の考察の成果を多様に用いて強力な説得力を持たせていますが、それらも全ては「だって、人間は本能が壊れているんだから」という確信に呑み込まれて行くかのように見えてしまいます。
それだけ、このモチーフはこれまでにない形で的を射ているのかもしれません。つまり良く言えば、本書の魅力の側面はその“確信のパワー”の発露なのであり、その表現に対して喝采を送れた時には、まるでライブ演奏会場のように著者との一体感を感じることができるのではないでしょうか。
説得力があり、力強く、そして何より面白い物語を聞かせてくれる著者。そんな力強さの源は、著者自身が翻弄されてきた「性革命」への戸惑いと理解への欲求にあるようです。
性に関して生涯のあいだにこの天地がひっくり返るような大きな変化を経験したわれわれの世代は、矛盾するさまざまな性観念に振り回され、当たり前とされていたことがいけないことになったり、そういうものだと思っていたことが疑わしいことになったり、とんでもないこととされていたことが自由にやっていいことになったり、いやらしいとされていたことがそれほどいやらしくないことになったり、確かに刺激的で面白いこともあったけれども、まさに精神的には大変であったとも言えよう。
要するに、性に関して(ほかの事項に関してもであるが)われわれの世代ほど、極端から極端へと引き回され、していいことと、してはいけないことが混乱し、迷いに迷い、葛藤に囚われた世代はあまりないのではないかと思われる。(276ページ)
著者の心の中には若い頃から、「なぜ、本能的な部分に関わる文化が短期間で易々と変化してしまうんだ」という疑問が常にまとわりついていたのでしょう。そして、その疑問が辿り着いたのは、「そもそも人間は本能が壊れているから、性は観念的なものなんだ」という冒頭の言葉なのです。
そして、やんやの喝采を送っていた読者は本書を読み終えたとき、我々の社会の将来の姿を想像して薄ら寒い気分になるのではないでしょうか。何かと読み手の心をざわつかせる本です。
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