「1.コラム・エッセイ等」 2005年05月24日
今日の「ズバリ言うわよ!」で、細木さんが現在の性教育に物申していました。昨今の性教育バッシングの延長かな?と思っていましたが、その主張そのものは至極全うなものだと感じました。
現在見られるバッシングの多くは、<性教育>という言葉の内容を検討することなく、その言葉の持つ既存イメージだけを意図的に一人歩きさせている点が特徴的と言えます。
結果として、「センセーショナルな演出とともに否定的な世論を形成させようとしている」、というふうに見て取ることも出来るのではないでしょうか。
さて、そんな中で、細木さんのコメントはどういったものだったのでしょうか。番組側の質問は、「小学校低学年からの性教育は必要か?」という、これもまた性教育という言葉の含む意味を保留したままのものでした。
この時点で、少しいやな予感がしたのですが、案の定、ほかのゲストや一般参加者のコメントは、それぞれの立脚点が曖昧かつバラバラなものでした。互いの意見がかみ合わない雰囲気の中、いよいよ細木さんのコメントへ。
細木さんの要点をまとめれば、「性教育自体は必要である。しかし、感受性や知恵が不足している時点で性の情報だけを教えても駄目。大人(親)がしっかりとメンタル面を含めた教育を行うことが大切である。”興味本位”への危機意識を持たなければいけない」、といったものになります。
ちなみに細木さんの言う「性教育」には、生殖知識と性(セックス)の歓びの双方が含まれていたようです。
こうして改めて見ると、基本的、かつ当たり前な内容だと思います。そして、教える側である“大人(親)”の責任の大きさに改めて気付かされます。
わたし個人としては、体系的な性教育が必要なのは大人だということ、そして、それは子供たちへの教育にともなう「大人の責任」のひとつなのだと考えています。性教育はメンタル面を含めた全人的な教育として行われるべきで、その責任は第一に両親にあると思います。
いみじくも中尾あきらさんが「(自分だったら)先生からは教えてもらいたくない」と言ったように、学校という環境で行えることには自ずと限界があります。
学校の現場で、性(セックス)の奥深さと歓びの存在を教え伝えることが出来る信頼関係が築けるのであれば、それは素晴らしいことなのかもしれません。
しかし順番からいって、まずは親と子供との信頼関係が第一であって、だからこそ、それをサポートするための「大人のための性教育」が必要であるということが、自ずから浮かび上がってくるのではないでしょうか。
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